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何故、6年もシナリオを書けなかったか?

10 2月

SPICAは2005年に撮影して2006年完成した30分の短編である。短篇集「LOST FLOWERS」が予算がないので、とりあえずその中から1篇選んで映画化した。それから6年間、映画から離れていた。

「SPICA」は、人間への愛を謳いつつも、真逆に見下してもいる。自分の心臓病の子どもを助ける為に、同じ心臓病の子供たちを殺していく母親の話だ。ドナー移植の順番を繰り上げるという確実な方法を母は選んでしまった。もともとは、犬猫をかわいいといいながら、毎日処分されている犬猫のことを見ないようにして、ご飯を食べている私たちの奇妙な性質(自分の範囲の中でしか愛さない)をテーマに出来ないかと思ったからだ。

子供を愛する行動なのに、観客は、その行動を嫌悪するだろう。自分の子どもではないのだから。

上映すると、海外では、「サイコな母親」とだけしか見ない白人さんが多かった気がする。インド系やアジア系は、少しは叙情的な何かを感じてくれたみたいだった。

当時、自分は非常にとんがっていた。作家性を追求し、死への恐れも大きかった。全てに批判的で孤独だった。次から次へと創作のエネルギーが湧き上がり、自分の人生は作品を残すのには短すぎるとさえ思っていた。

が、しかしである。あろうことか、現在は、すごく愛にあふれた生活を送っている。会社を立ち上げ、金銭的にも余裕ができた。外から見たら、映画を捨てて快楽に逃亡したと思われるかもしれない。しかし、創作への意欲は失われてはいなかった。ただ、批判精神から出発していたのを、どう切り替えていいのか分からなかった。

そうこうしているうちに、映画祭では同じスタートラインに居た友人のアピチャッポン(ジョー)が、カンヌでパルムドール受賞して、世界的な文化人になっていった。彼は、批判精神でも愛でもなく、アート志向が映画のスタートラインだった。自由なトリック的発想で創作が出来る。彼との比較を通して、では自分には何があるのかをここ数年考えていた。自分が作るべき映画はなにか。で、ようやく結論が出て、シナリオを書き上げたのである。

出来上がったシナリオは、ゲイを直球で扱ったものだが、内容は、これまでの私のテーマそのものだ。芸術論と性と生をメインにしていて、結局は全ての過去作品に一貫して流れている私の血だったと思う。

 
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投稿者: : 2012年2月10日 投稿先 雑談

 

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