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「赤の愛」が何故、最後の作品なのか?

25 6月

(ネタバレも有ります)

「トリコロール」をようやく三作品ちゃんと観ました。「青の愛」で止まっていたんです。映像美は凄いけど、死んだ夫には愛人がいたとか、死んだ夫の姑との関係がうまくいかないなど、オゾン監督の「まぼろし」でも観たし、フランス映画で多く取り上げられている話だったからです。もともとキェシロフスキ監督は大好きで、私自身の思想の練り上げ方にも似ていた部分があったので、残りの「白の愛」「赤の愛」は、観るのを少し寝かしといたんです。映画を観るのはタイミングが重要だと思っているからです。で、最近はウツ気味になり、思索するには丁度良くなりました。

「白の愛」は、デカローグの「ある愛に関する物語」の焼き直しに感じました。ラストなんか、そのまんまですもの。少し落胆しつつ、「赤の愛」を観ました。完全にやられました。神秘主義が復活していたし、何故、この映画を最後にすると言ったのかが、よく分かりました。

ここでトランティニャン(言いにくいので「トラちゃん」にします。)を目撃。なんと素晴らしい役者なんでしょう。と思っていたら、翌日観たブルーレイ「暗殺の森」の主役じゃありませんか。自分の中で、老人と若者の同じトラちゃんを連続で観て、さらに感慨深いものになりました。トラちゃんは、キェシロフスキ監督の体現でした。それは、ラストシーンから始まるのです。沈没したフェリーから脱出した数人の人々をテレビで観て、彼らの話を妄想するのです。それらが「青の愛」となり「白の愛」となります。「赤の愛」では、自分自身も登場します。老人は退役判事ですが、「赤の愛」では、司法試験に受かったばかりの若者が登場します。これは判事の若い頃とみるのが妥当です。判事は若い頃に恋人に裏切られたと告白するし、実際、この若者も恋人に裏切られます。判事は「夢のなかで、50歳の君と一緒にいた」と、主人公の女に告げますが、このあたりから、「赤の愛」を含めて、トリコロールという映画そのものが夢であり、夢のなかで観る夢が現実なのかもしれないという錯覚をもたらします。主人公の女性でさえも、もしかしたら夢のなかで判事に会っている?夢自体が未来の暗示?映画的な整合性がちゃんと説明されない箇所もありますが、その錯覚こそ、この映画の伝えたい部分であり、割れた窓から判事が外を見て何かを考えているのは、逆に私達が判事を見て何かを考えているのだという、見る見られるというか、思想が双方向になってくるゾクゾクする感覚を表出させる映画だと思いました。(今も、あの部屋から、現実の私達を観察している判事(監督自身のこと)が居るような気がします。監督はすぐに実際に亡くなり、あの部屋の住人になってるような気さえします。)

そういう思想の到達点に立ったからこそ、「もう映画を辞める」と言い出したのでしょう。映画は監督の思想を練り上げるものです。特にヨーロッパではそんな文化です。(残念ながら日本はそうなりませんでした。思想を練り上げる行為は「作家性」と呼ばれますが、日本ではやっかいなモノとして見られています。思想は娯楽には不要だと信じられ、業界人にその知識すら有りません。哲学文化が根付かないのです。)

追記:「赤の愛」では、3回、急にカメラがぐわーと動くシーンが有ります。とても神がかり的です。そのひとつに、判事が「美しい光線が…」と言い、2秒後に太陽に照らされた床が光ります。出来事の起こる前にセリフを言うのです。すごくこの作品をよく表しているシーンです。こんな神がかったシーンを作れるなんて素晴らしいと思います。自然に待っていてもなかなか訪れるものではありません。

追記:ハネケ監督といえば、観客の心をイライラさせる手法で、手玉に取る人で有名ですが、彼の最新作でもトラちゃんはいい演技をしているようですね。今年のカンヌは「老い」がテーマになっているような感じですが、巨匠たち自身が、老いてきましたので、そんな心境なのでしょう。トラちゃんがかなり萌え萌えです。(演技に色気がある人って素晴らしいと思います。こんな老人になっても。。)

↑たぶん、ボケた妻に語りかけているようなシーンかな。自作「眠る右手を」でも、映画の後半は、人間で居ることに悩み苦しんだ妻が、ある事件で白痴になる展開があります。主人公の夫(草野康太)は、聴こえていない妻に必死に語りかけます。何度も何度も。まるでそこに自分の存在を確認するかのように。しかし妻は応えません。それは「神の沈黙」を意味します。一方通行の祈りを捧げるしか無いのです。

それでも、人間は理解し合えるという(捨てられない浅はかな)希望を持っています。そして話しかけ続けるのです。沈黙が起きたからこそ、話すことを始めるのでしょう。理解し合いたいという気持ちが、ラストに持ち上がるのを観客にも感じて欲しかったのです。そのラストのために、映画自体は、駆け引きばかりを繰り返し、脱落する人々を描いているのです。

思想を練り上げるという映画文化を、日本からも誕生させたいですね。なんで、最近はこうなっちゃったんでしょう。。。

 
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投稿者: : 2012年6月25日 投稿先 雑談, 映画レビュー

 

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