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カテゴリー別アーカイブ: 雑談

インターステラー ネタバレ

本当に素晴らしい映画でした。ガチSFは素晴らしいです。

(以下、ネタバレの疑問点メモです。)

アンハサウェイが冷凍睡眠に入り、地球に信号を送るという今後の予想が多いのだが、それは間違っていると思う。アンは、プランBを実行に移すはずだ。つまりは、アンの手元にある大量の凍結精子と卵子を使い人類再生を試みる。が、母体が圧倒的に少ないので、計画は段階的に実行される。まずは、アン自身のお腹の中で、女性を10人作る。男子は堕胎しなければならないルールを作る。そしてその女性達はさらに女性30人を産む。この時点で女性は301人。ここからは男子を産んでもいいとルール変更し、凍結精子と使ってもいいし天然の男子の精子でも良くなる。初代アンは死去。人類は復活を遂げていく。でも食料問題が解決されないかも。

アンが一晩眠り、今後どうしようかと考えていると、老人のマシューが現れるのかしら?

ブラックホールの中では、光速視界なので、光が粒のように砕けていた。質量のあるものは、引き延ばされ押しつぶされて崩壊すると思っていたけど、違うのか?あとで、調べてみよう。

時間が同時に存在するという概念ではなく空間表現は映画ではなかなか難しい。主人公は「愛」があったから、あの部屋に帰ったと言っていたが、強烈な娘への執着がなければ、あの本棚にはたどり着けなかったのだろう。愛は境界線を越えなにかの意味が有るとアンは語るが、意外と正解なのかも。多元というものは決して現次元では認識されない。質量を持たない何かとは思考なのか?質量のない何かが同時に多元に現れるということ?それが神の啓示的な事象になるの??(←ほら神秘主義的になっちゃうW)私たち三次元の認識力では本棚の境界線を越える事も観る事も出来ない。が、映画は描いてしまう。だからこそ、荒唐無稽に感じてしまう。が、目では画面を見ても、心であのシーンは感じるべきだ。あそこは認識できない空間なのだし。

重力操作の数式が完成しないと、宇宙ステーション建設は無理だったの?その理由が少し分からない。重力操作できても、完全な農作物育成への手がかりにはならないのでは?もし農作物育成が可能なら、農作物だけを衛星軌道上で育成すれば、人類は地球で暮らしていけるのでは?

農作物の感染での食物生育の危機、砂嵐による気管支の病気、が主な原因として描かれているが、コロニーでも新規の星でも、植物問題が解決しないと同じなのでは??植物絶滅による酸素不足もコロニーでは解決してるの?どうも移住に対しての緊迫度に説得力が無い気がする。

ブラックホール突入後のマシューちゃんは、何故、土星の衛星軌道上に居たのか?

ブラックホールとワームホールの関係は現在未知数。なので土星の近所のワームホールから抜け出たと考えられる。が、ブラックホールに突入した時点で、爆発的に時間は経過するので、120年後の宇宙どころではないはずなのだが、なぜか突入前の時間軸に戻り、宇宙ステーションに救助されている。不思議。

娘はいったい何歳?父親の信号を受け取った時点プラス120年。冷凍睡眠に100歳くらいで入り、父親が帰還したら起こしてね、すぐ死んじゃうけど。みたいな感じ??

多元では時間は同時に存在するから、観察は出来るけど操作は出来ないという設定。だけど、50年前に土星の近所にワームホールを造っているのは、誰の仕業?未来の人類とかなら、そもそももっと違う部分を操作するでしょ?そう考えると、やはりマシューちゃんが作ったと考えるのが妥当ではないか?じゃいつ造ったの?となると、過去の宇宙船の中のアンと手をつないだように、やはり過去に現れ何かの事象を引き起こしてるの??

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投稿者: : 2014年11月24日 投稿先 雑談

 

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観客の範囲をどう扱うのか?

(ネタバレではないけど、「インターステラー」観賞後に読んでください。)観客は、その人生において、科学的な知識欲を育ててなかったら、この映画の科学的なシーンを荒唐無稽だと感じるだろう。そうなると人間ドラマにしか目が向かなくなり、まあ、それでも良かったという感想にはなると思うが、なんだかモッタイナイ。けれど、もともとが科学には興味がない人生なのだから何を言っても仕方がない。同じように、科学的な観点は、冷徹な哲学に通じる部分が有り、愛とは何かという問題的も本作では語るが、それを追求すると、神秘主義的な問答も起きてしまう。科学や数学や物理学を研究すると、やがて、とても恐ろしい「円」が見えてくる。理解不能なモノを冷徹に分析理解しようとしても、その「円」は、人知を超え、人間には神秘主義的境地をもたらしてしまう。あたかも神の領域と認識してしまい先に進めなくなる境界線だ。これも、やはり荒唐無稽と断じる人間を産み、そんな人生の人には、何を言っても仕方がない。「ようこそ、美の教室へ」にも真理を理解し、世界を支配しようとした物理学者が登場する。(生物学者に変更も考えてるけど、、)
さて、映画を作る時、これらの「何を言っても仕方のない人」をどう扱うのか?ここは、監督自身の領分なのだが、例えば、バカは放置するという立場もある。観客をバカと呼ぶなんてアカンという視点は、映画を娯楽ととらえればならではのモノ。批判をかわす為には、言い換えてみれば良いのか。監督は観客を信じている。とかなんとか。
最近だと、ライフオブパイを非常にすばらしいと思ったが、観客の批評は、それぞれの知性や知識からくるもので、それぞれが自分勝手で自己満足的で閉じている。「知識の海」の広がりもないし、ミクロ的な分析からマクロ的な宇宙を見いだすこともない。観客は、毎日の生活と喜びであふれ、「そんなコト」には興味を抱かない。また「何を言っても仕方のない人」が登場してしまう。
そうすると、万人向けという映画は存在しないのだということになる。
では、自分の作りたいモノを作るという振り切りは必要ではないだろうか?観客を信じるとかなんとか言っても、想定する観客枠は有限であるのだし。映画関係者的な観点は、商業アクションを軸にしているので当てにはならない。「インターステラー」を作りたいと言ってもなかなか動けない。映画は神聖かどうか微妙だが、映画関係者はまったくの俗物だと感じるのは、商業がもともと高見を目指さないアクションだからだ。それでも、商業の枠の中で、映画を作るというのは、なかなか大変だと感じる。チラシなどのデザインで真理を語り高見を目指すのと同じで、足かせは大きい。
などと、映画の作家性を商業的に利用する映画人の俗を少し考えさせられる「インターステラー」でした。観客もまた俗。俗と科学を融合する思想力はお見事だと思います。物語る力。

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投稿者: : 2014年11月24日 投稿先 雑談

 

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苗場のユーミン

自殺で友を何人も亡くした自分には、2/13の苗場のユーミンは、衝撃的だった。母親をガンで亡くし、うつ病になった子供が、リクエストコーナーで、壇上にあがる。テーマは懺悔。子供は母親に有難うと言えなかった話をする。そして、母親はいつもクルマでユーミンを流していて、その子供は3歳でユーミンが好きになったそうだ。リクエストで悩む子供は、死んだ母親がカラオケでよく歌っていた歌か、クルマで一番最初に好きになった歌のどちらかを頼みたいと言った。ユーミンは、二曲ともフルで歌う。ずっと号泣する子供。カラオケの母親や、車のカセットテープが動いている記憶が、体験していない自分の心に映る。彼は感謝でユーミンを抱きしめ、何かを耳元で言っていたが、ユーミンがマイクを持ち、彼に、ここで宣言しろと言う。彼は、「自殺はしない。天寿を全うする」と、マイクを使い観客に宣言した。その後の苗場は彼の為のものだったと思う。そして、最後のアンコールで、ユーミンは、「青いエアメイル」を、彼の座っている方向をずっと向いて歌う。自分らには、背中を向けたユーミンだったけど、それが嬉しかった。「時の流れに負けないで」と歌うユーミン。

なんだか、今日のショーは何だったのかと考える。こういう内容も嫌いな人も居るだろう。けど、予想もしない観客のリクエスト。こういう展開で締めくくったユーミンは、いつもの観客との距離と違った面を見せたと思う。

心にしみた「ジャコビニ彗星の日」を聴きながら、自殺した友達を、思い出してます。

 
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投稿者: : 2014年2月15日 投稿先 雑談

 

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マクロアダプターという選択

先日のマクロレンズ購入しようかと考えていたレンズ構成。はて、そういえば、キヤノンレンズの時はマクロアダプター買ったな。マイクロフォーサイズ用のマクロアダプターもあるんじゃないか?と探したらすぐに見つかりました。

で安いのですぐにポチッ。

マクロエクステンションチューブ(接写リング)

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早速、テスト開始。まずは何も付けない状態でパシャ。

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いよいよ、実力を見せてやれ!マクロアダプター!!まずは基本からと思い、長さ調節は1を使ってみる。パシャッ。

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あれ、ピントが合わない。きっと長さ調整が1じゃダメなんだ。うんうん、じゃ2にしよう。パシャッ。

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そうだよね。ますますボケるはずよね。という事は3は全然ダメなはず。うーん、じゃ、長さ調節しなきゃイイのかしら。パシャッ。

a00

おお!ようやくピントが来ました。うんうん。安心しました。

nanimohasamazu

そこで、今度は、KIPONちゃんの再登場です。

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これでキヤノンレンズでマクロ出来るのか試してみようと思います。パシャッ!パシャッ!パシャッ!

50

35

おお良い感じ。アレ、もしかしたらKIPONちゃん自体が長い筒なんだし、どこまでマクロ出来るか試してみるべきだよね。パシャッ!

kiponのみ

アカン。長さが足りない。あ、そうだ、一番マクロっぽく寄れるNOKTONちゃんに、マクロアダプターって最高の出来になるんじゃないの??パシャッ!!

17.5

もともと寄れるレンズには合わないようです。。。。一番明るいレンズだったのに残念。

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マクロアダプターのピント合わせ方は、基本的に、カメラを持っている自分自身が前後に動くしか有りません。それとこの安いアダプターは電子接点がないので、絞るにはレンズに絞りリングが付いているほうが便利みたいですが、でもマクロってボケ命なんだから、絞らずNDフィルターが必需品よね。

マクロレンズのいいところは、ピント合わせがレンズのピントリングで出来ること。接写もできるし、遠くも撮れる。やっぱり便利だよね。でも、数シーンを撮影するだけのためにマクロレンズを買うべきか?小道具や衣装やスタジオ代にまわすほうが「映画にとってはイイのではないか?」

とりあえずは、マクロアダプターでなんとかしようと思います。

備考:クローズアップフィルターは画質が低下するっていうけど、どうなんでしょうね。NOKTONちゃんに付けちゃえば幸せになれるのかな。。。(遠い目)

 
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投稿者: : 2013年2月13日 投稿先 進行, 雑談, 機材

 

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カメラ機材が揃う。

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ようやく、GH2が3台揃いました。今回の映画のメインカメラです。こんな小さなカメラで、映画を撮るって不思議な感覚。

でも、すごい実力なんです。もちろん、通常の使い方はしません。すべて、ハッキングして高画質にします。120〜140Mbps位の超高ビットレートです。

GH2ハッキングの聖地(利用するなら寄付しましょ。)
http://www.personal-view.com/talks/categories/hack-top-settings

GH2ハッキング方法(一番分かりやすい。)
http://www.raitank.jp/archives/8708

GH2ハッキング開発の拠点(新しいファームが有志により開発テストされています。最新のものをチェックすればいいと思います。)
http://www.raitank.jp/forum?mingleforumaction=viewtopic&t=14

GH2は、コントラストが高いという欠点はありますが、照明を工夫すると、Zacuto主催の覆面カメラテストでは、Arri AlexaやSony F65、RED Epicなどの強豪を抑えて高評価を得ています。
http://www.zacuto.com/shootout-revenge-2012/revenge-the-great-camera-shootout-part-two

NoFilmSchool-Zacuto-Camera-Shootout-Results1

この覆面コンテストの全貌は、おなじみのRaitankさんの方で御覧ください。

第一回
http://www.raitank.jp/archives/11457
カメラ予想
http://www.raitank.jp/archives/11506
第二回(驚愕の結果発表)
http://www.raitank.jp/archives/11964

私もこのカメラ予想に参加しましたが、全然、当たりませんでした。業務機って触ったこと有りませんしね。。。笑。

またパナソニックの欠点である「ホワイトバランスが緑色成分を含む」という面も、カラコレすると、品のある色合いになると、経験上分かってきました。

とにかく、この小さなカメラ3台で、世界に発信できる映画を撮りたいと思います。

追伸:で、こんな数百万円の業務機を抑えたカメラのお値段ですが、ななな、なんと、3万5千円(ボディのみ)で、ビックカメラで購入できました。もちろん5年保証付き。というのも、最後の在庫だったからです。ヤフオク新古最安値よりも安く購入できました。奇跡だわー。映画の神様に感謝!!

 
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投稿者: : 2013年1月30日 投稿先 進行, 雑談, 機材

 

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短編「シャルロッテ姫」

syaru

「変な空だな。」

流れる雲が異常に早いのを、和男は眉間に皺を寄せながら呟く。少し不機嫌な時の皺は、ここ十数年の間に深さを増していき、40代前半の和男の顔をすっかり年老いて見せていた。3時からのミーティングが不調に終わり、和男はビル2階のスタバに避難していた。最近、よく避難するようになった。若い頃は、仕事中にお茶するなんてと思っていたが、管理職になると、避難することも大事なのだと思うようになった。最近入った新しいバイトの女の子にコーヒーを注文し、赤いランプの下で受け取り、窓際のカウンターに腰掛ける。窓の下には、デパート帰りの主婦達が、買い物袋を下げながら、道を魚のように流れていく。漠然と幸子の事を思い出す。大学生の頃に出会った幸子は、「これはプラステックの真珠なのよ。」と偽物の真珠が目を引く女の子だった。決して美人ではないが、真珠のよく似合う和風の顔立ちで、和男は、いつか本物の真珠を買ってやろうと思った。やがて結婚し、初めての子供が産まれた時に、すやすや眠る幸子の枕元に、本物の真珠の首飾りを置いたりもした。和男は窓にうっすらと映る自分自身の姿を確認し、溜息をつく。幸子との恋愛は終わってしまった。同じ屋根の下で暮らしているのに、会話も少なくなったし、真珠の首飾りも箪笥の奥に仕舞われたままになっている。3人の子供たちは、どこかよそよそしい気がする。親と子どもの関係ってこういうものなのかと、かすかな失望もしていた。突然、窓に映る自分が泣いているように錯覚した。それは窓に水滴がついて流れていたのだ。だんだんと景色がどんよりし、カウンターの木の色が変わっていく。ふと窓とカウンターの隙間に沢山のホコリが詰まっているのに気がつく。きっとあの新人バイトのせいだと悟る。客商売というのは、センスだと思った。こういう事に気がつくのかどうかを、他人に言われないとダメだなんて。窓にはどんどん水滴がついて、塊になると、流れていく。「変な空だな。」

ホコリの中に、黄色っぽい何かが混じっていた。それは何かの眼のようにも見える。よく見ると、小さな蛾の死骸だった。ビルの2階のスタバに、よく迷いこんできたものだと思った。あの赤いランプに誘われたのか?蛾の羽には眼のような模様がある。鳥から身を守るために、擬態をしているのだと何かで読んだことがあった。雨の音が強くなっていく。和男は、はるか昔の忘れていた場面を思い出した。あまりに急だったので、少し驚く。

和男がまだ小学2年生の時、窓辺に置いてある薔薇の鉢植えに、蝶蝶のサナギを母親が見つけた。母親は、なんて素敵なことでしょうと、和男と共に、サナギが割れるのを待ちわびた。和男は、子供の頃は、体が弱く、いつも家の中で遊んでいた。和男にとって、母親は、遊び相手でも有り、教師でもあった。そんな母親が、まるで乙女のような顔をするので、和男は少し興奮していた。母親はヲンナなのだと気がついたのだ。やがて、サナギは割れる。綺麗なしっとり濡れた体が現れると、母親と和男は恍惚となった。その3時間後、母親は冷たい表情になり「なんだ、蛾じゃないの。損した。」と立ち去ってしまった。和男は、自分に言われた気がして戸惑う。残された和男は、蛾を見続けていると、みるみるうちに、フワッとした毛で覆われていく大きな体の昆虫に目を奪われた。扇型の羽が広がっていき、そこには和男を見つめる眼が開かれた。見つめ合っているかの様な気がしたが、和男は目を離さない。羽は黄金色で美しかった。鱗粉は、様々な色彩の虹色を輝かせる。母親が台所から、そんな蛾は早く捨ててしまいなさいと言っている。和男は、まだ飛べぬ蛾を、手に留まらせる。小さな6本足で指を掴まれた和男は、その感触が気持ちよかった。裏の自転車小屋まで蛾を連れて行くと、自転車のハンドルに蛾を留まらせる。ハンドルを伝っていく姫は、羽をバタバタさせ、虹色の鱗粉を振りまいている。「君の名前はシャルロッテ姫だよ。とっても偉いお姫様なんだよ。明日、また会いに来るからね。」自転車小屋の鍵を掛け、和男は戻っていった。

翌朝、和男はシャルロッテ姫に会いに行くと、姫の姿はどこにもなかった。鍵は掛かったままだったのに。その日の午後、大雨になった。和男は、姫がどこかで濡れて立ち往生しているのではないかと心配した。

すっかり、あんな蛾のことなど、忘れていたのに。和男は、急に子供の頃に戻った感覚に驚く。もう母は亡くなってるし、何度も引越しをしたのに、あの自転車小屋の事も、細かく思い出していた。

「シャルロッテ姫、あなたは何処に行かれたのですか?」

そろそろ会社に戻らないと。ミーティングの続きをして、軌道に戻さなければ。早起きして、妻の枕元に、偽物の可愛い真珠の首飾りを置いてみよう。和男は立ち上がり、コーヒーカップを戻し、新人のバイトに昆虫の死骸のことを教え、エレベーターへ。

「本当に変な空だな。」

いつしか雨はやみ、誰も気が付かない虹が掛かっていた。

追記:年末に、友人の庭先でサナギを破った蛾の話を聴いて、なんだか懐かしい衝動が起き、ささっと書きました。大人になると無くしている「何か」について。

 
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投稿者: : 2013年1月7日 投稿先 雑談

 

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謹賀新年

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「ようこそ、美の教室へ」の準備を本格化させます。

その前に、私の作品歴を見ながら、なぜ、この作品に至ったのかを漠然と考えていました。「ようこそ、美の教室へ」の核は何かについて、想いをめぐらしたのです。

『SPICA』までの作品は、すべて根本に、私の死への恐怖を抱えていたと思います。しかし『SPICA』を作る事と、同時期に現在の相方とめぐり合う事で、恐怖心を達観し、脚本を書けなくなってしまいました。立ち上げた会社も落ち着いたので、2011年から、また脚本を書こうとモガくのですが、どれも自分の中で、未消化のまま、題材は積み上げられていきました。

2012年、母親と自分自身が病に倒れ、美しかった母親が、心身ともに崩れていく様を体験し、自分自身も顔面麻痺で痛々しい存在となったのをキッカケにして、人間の儚さを実感し、また「何故、自分は作品を作るのか?」という根本に立ち戻る事となります。

性欲と芸術欲から得られる恍惚感を比較吟味したり、美しさの中に潜む死そのものとも立ち向かい、脚本を書き上げることが出来ました。

美しさも死も全て「繰り返し」の概念には敵わぬという事実、「繰り返し」こそ全ての中毒の正体であるという事実を、どう映像にすべきかと、練り上げていったものが、この「ようこそ、美の教室へ」であります。この様な意味の思索、神話的普遍性は、これまで日本映画が不得意としている題材であると思います。

それを提示したいと思うのです。それは、私や母の死が、作品に帰結するという私自身の願いであり、救いとなるものであるからです。

皆様、今年は、私にとって、一番重要な年になります。45歳になって、ようやく成し遂げようとする映画です。映画を作る者は、人生を掛ける作品が、その生涯に一本有るか無いかです。その現場に、どうぞ立ちあって、力を貸してください。

 
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投稿者: : 2013年1月5日 投稿先 進行, 脚本, 雑談

 

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新脚本と表現者の融合を!

今日は、脚本の書きなおしが、だいぶ進んだ。見事に再構築できていると思う。登場人物がかなり減ったし、展開も余白を残し、書きなおした。つまりは、役者の演技力や空気感での描写時間を増やし、寓話的な群像劇展開を、(物語過ぎないよう)抑えこんでいっている。予算的な問題も新脚本でクリアできそう。ラストは、新脚本の方が、映画の神様が降りてきていると思う。というか無理くり降ろしている。主役のレイチェルさんが決定して、いろいろと私の中で風が吹きまくっていたが、どうやらキチンと渦を巻き始めたようだ。(ハーリハーリハリケーーン)

日曜日に、レイチェルさんのダンスショーを観に行った。ストロングストイックストロベリーショーvol2というイベント枠のひとつで、「SMALLENNIUM 百万年の孤独」30分のダンスショーだった。構成がすごく良かった。ポラロイドカメラで客席のお客さんを撮影して(ドラァグショーみたいだが)、警戒している観客を下品に引き込んで、服を脱ぎ出す重々しい展開、そのまま、鬼気とした葛藤の表現へと流れていく。演劇的な要素もたくさん盛り込み、首藤康之さんのドキュメンタリーで紹介されていた「空白に落ちた男」をなんとなく思い出したが、すぐにレイチェルさんの表現しようとする動作や表情に集中できた。役を演じ表現しようとする時のレイチェルさんは神々しい。ダンスの舞台だと思っていたが、そんな全然ダンス以外の表現全体にいろんな思いを抱いた。

レイチェルさんの中で、もしかしたら、何かが始まったのではないかと感じた。表現者として新しいフィールドを見つけたのでは無いか?実はこっちの方がしっくりしてるとか?

舞台であるのだが、カメラでアップを撮影したい衝動もあった。ここは顔のアップでしょ!ここは手先を撮影したい!うーん、レイチェルさんの顔を撮りたい。神々しいその顔を。なんだか、映画に誘ったのは、タイミング良すぎたのではないかと思う。カメラで撮ることで、表現者から表出するものを記録できると思う。

さて、脚本を早く完成させて、レイチェルさんに挿入しなくちゃ。

 
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投稿者: : 2012年10月17日 投稿先 雑談

 

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間もなく発表!GH3夢想

いよいよGH3が発表になります。来月9月18日~9月23日に開催されるphotokina 2012で初披露される前に、プレスリリースされるとは思いますが、すでに具体的な噂話は出てきています。希望的な話も盛り込まれてます。(あくまで噂なので、楽しむ感じで。。)

1:同時発売されるXレンズ35-100mm F2.8、もしくはXレンズ12-35mm F2.8のレンズに合ったデザインで、GH2よりは大きく重くなる。形状は少し丸みを帯びている。

2:キットレンズは、Xレンズ12-35mm F2.8(先に発売したのは、価格戦略か?)で、ボディも防塵防滴仕様。

3:24Pでは70-80Mbit記録(AVCHD拡張規格?)。1080/60Pは通常通りの28MbitAVCHD記録。ハッキング可能。

4:液晶は高精細になり、タッチ操作が増える。

5:純正のバッテリーグリップが発売され、バッテリー持ち時間が改善。

ここからは、自分の勝手な予測(希望)

AF200も年内発売。内部ユニットはGH3と同じだが、マイク端子や、液晶などを強化し、今回はハッキング可能。ボディ内手振れ補正のONOFFが可能で、レンズ対応が柔軟になる。Wスロットカードで同時バックアップ可能。

AF700は来年発売。内部ユニットは、GH3の強化版。記録方式は、放送/業務用に開発した「AVC-ULTRA」になる。

AF1000は来年後半発売。4KRAW記録のSuper35センサー。記録方式は、放送/業務用に開発した「AVC-ULTRA」になる。

(追記)パナは、いつAVCHDを捨てて、AVC-ULTRAの体系に入っていくのかがポイントにはなると思います。一部の予想では、先にAVC-LongGを搭載するのではと推測しています。
http://www.genkosha.com/vs/cat752/entry/avcultraavclongg.html

 
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投稿者: : 2012年8月27日 投稿先 雑談

 

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「赤の愛」が何故、最後の作品なのか?

(ネタバレも有ります)

「トリコロール」をようやく三作品ちゃんと観ました。「青の愛」で止まっていたんです。映像美は凄いけど、死んだ夫には愛人がいたとか、死んだ夫の姑との関係がうまくいかないなど、オゾン監督の「まぼろし」でも観たし、フランス映画で多く取り上げられている話だったからです。もともとキェシロフスキ監督は大好きで、私自身の思想の練り上げ方にも似ていた部分があったので、残りの「白の愛」「赤の愛」は、観るのを少し寝かしといたんです。映画を観るのはタイミングが重要だと思っているからです。で、最近はウツ気味になり、思索するには丁度良くなりました。

「白の愛」は、デカローグの「ある愛に関する物語」の焼き直しに感じました。ラストなんか、そのまんまですもの。少し落胆しつつ、「赤の愛」を観ました。完全にやられました。神秘主義が復活していたし、何故、この映画を最後にすると言ったのかが、よく分かりました。

ここでトランティニャン(言いにくいので「トラちゃん」にします。)を目撃。なんと素晴らしい役者なんでしょう。と思っていたら、翌日観たブルーレイ「暗殺の森」の主役じゃありませんか。自分の中で、老人と若者の同じトラちゃんを連続で観て、さらに感慨深いものになりました。トラちゃんは、キェシロフスキ監督の体現でした。それは、ラストシーンから始まるのです。沈没したフェリーから脱出した数人の人々をテレビで観て、彼らの話を妄想するのです。それらが「青の愛」となり「白の愛」となります。「赤の愛」では、自分自身も登場します。老人は退役判事ですが、「赤の愛」では、司法試験に受かったばかりの若者が登場します。これは判事の若い頃とみるのが妥当です。判事は若い頃に恋人に裏切られたと告白するし、実際、この若者も恋人に裏切られます。判事は「夢のなかで、50歳の君と一緒にいた」と、主人公の女に告げますが、このあたりから、「赤の愛」を含めて、トリコロールという映画そのものが夢であり、夢のなかで観る夢が現実なのかもしれないという錯覚をもたらします。主人公の女性でさえも、もしかしたら夢のなかで判事に会っている?夢自体が未来の暗示?映画的な整合性がちゃんと説明されない箇所もありますが、その錯覚こそ、この映画の伝えたい部分であり、割れた窓から判事が外を見て何かを考えているのは、逆に私達が判事を見て何かを考えているのだという、見る見られるというか、思想が双方向になってくるゾクゾクする感覚を表出させる映画だと思いました。(今も、あの部屋から、現実の私達を観察している判事(監督自身のこと)が居るような気がします。監督はすぐに実際に亡くなり、あの部屋の住人になってるような気さえします。)

そういう思想の到達点に立ったからこそ、「もう映画を辞める」と言い出したのでしょう。映画は監督の思想を練り上げるものです。特にヨーロッパではそんな文化です。(残念ながら日本はそうなりませんでした。思想を練り上げる行為は「作家性」と呼ばれますが、日本ではやっかいなモノとして見られています。思想は娯楽には不要だと信じられ、業界人にその知識すら有りません。哲学文化が根付かないのです。)

追記:「赤の愛」では、3回、急にカメラがぐわーと動くシーンが有ります。とても神がかり的です。そのひとつに、判事が「美しい光線が…」と言い、2秒後に太陽に照らされた床が光ります。出来事の起こる前にセリフを言うのです。すごくこの作品をよく表しているシーンです。こんな神がかったシーンを作れるなんて素晴らしいと思います。自然に待っていてもなかなか訪れるものではありません。

追記:ハネケ監督といえば、観客の心をイライラさせる手法で、手玉に取る人で有名ですが、彼の最新作でもトラちゃんはいい演技をしているようですね。今年のカンヌは「老い」がテーマになっているような感じですが、巨匠たち自身が、老いてきましたので、そんな心境なのでしょう。トラちゃんがかなり萌え萌えです。(演技に色気がある人って素晴らしいと思います。こんな老人になっても。。)

↑たぶん、ボケた妻に語りかけているようなシーンかな。自作「眠る右手を」でも、映画の後半は、人間で居ることに悩み苦しんだ妻が、ある事件で白痴になる展開があります。主人公の夫(草野康太)は、聴こえていない妻に必死に語りかけます。何度も何度も。まるでそこに自分の存在を確認するかのように。しかし妻は応えません。それは「神の沈黙」を意味します。一方通行の祈りを捧げるしか無いのです。

それでも、人間は理解し合えるという(捨てられない浅はかな)希望を持っています。そして話しかけ続けるのです。沈黙が起きたからこそ、話すことを始めるのでしょう。理解し合いたいという気持ちが、ラストに持ち上がるのを観客にも感じて欲しかったのです。そのラストのために、映画自体は、駆け引きばかりを繰り返し、脱落する人々を描いているのです。

思想を練り上げるという映画文化を、日本からも誕生させたいですね。なんで、最近はこうなっちゃったんでしょう。。。

 
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投稿者: : 2012年6月25日 投稿先 雑談, 映画レビュー

 

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花が散る

「教室」脚本のダウンロード公開中。
https://poetryfilm.wordpress.com/kyakuhon/(ダウンロードページ)

私の母は、美しいものが好きで、お金のある家ではありませんでしたが、よく花瓶に花を活けていました。書道や日本舞踊も好きで、師範免許も持っているほどです。いつも理知的で、私にとても影響を与えました。私は、2月に帰省しようとしていたのですが、顔の半分が動かなくなり、入院をしなければなりませんでした。その期間に、母が片足が腫れる病気になり、母も強制入院しました。足は2倍にも膨れたそうです。ようやく、私は、4月に帰省したのですが、もう母の姿はありませんでした。

母は、変わってしまいました。おばあさんの顔になり、行動もおかしいのです。父が掃除機をかけると、家の中を逃げ惑いました。掃除機の音が怖いと言い、わざと私を苦しめるために掃除をするのだと、家の中を走り、おおげさに体を丸くして震えていました。私は母に言いました。「掃除機におびえて、そんな行動をするのは変だと思わない?掃除しなきゃいけない時は、ベランダに逃げるとかして、掃除をしやすくさせなきゃね。」と。

母は、入院の時の話もします。お医者さん達は、私を実験台のように、問答無用で手術したのだと言うのです。そんな時は「問答無用に、すぐに手術してくれて良かったね。静脈瘤は時間との勝負だから、まな板の鯉にしてくれて良かったよ。感謝しないとね。」と答えます。価値観をさりげなく転換させようと私も必死でした。

母の足の静脈瘤の血栓が脳に到達しているのではないかとさえ思いました。人格の変貌は、とてもキツイ状態です。自衛隊あがりで家庭を顧みなかった父親は、しずかに母の面倒を見ています。一緒にオフロに入ったり、一緒の布団で寝たりしています。私には、父親の愛情を感じることがなかったので、この父親の行動には、とても感激しました。その父も、人工透析に通うようになり、両親らは、「もうすぐ居なくなること」を子供たちに伝えます。私の一家は、精神疾患の家族です。兄弟はすべて精神を病んでいます。私自身は、家族を捨て東京に逃げ、映画製作に没頭しましたが、最近は、とてもウツが辛い状態です。精神病をなんとかモノ作ることに、差し替えてきましたが、かなり追いつめられています。

「教室」の脚本自体が、私そのものののようです。花が散るのは仕方のないことですが、私の花は「教室」をきちんと映画にすることだと思っています。私にしか見えていない花も、きちんとした解釈で映像にしたいのです。

ここまで、映画に生かされ、映画に殺されるとは思いませんでしたが、私は、映画を作ることに逃げ込んだのですから、映画で落とし前をつけようとするのは自然の流れです。

 
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投稿者: : 2012年6月25日 投稿先 雑談

 

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顔面麻痺の治療

今年2月に顔面麻痺になり、入院もしたけど、結局、全く動かないままだった。もうすぐ5月も終わるけど、何も変化はなく、東京医科大学病院からは、手術を試してみることも勧められる。が、手術はあくまでチャレンジみたいなものだそうで、やってみないと分からないとの事。それよりも、全身麻酔や後遺症が心配だった。相方には、リスクが少しでもあるなら、このままでもイイよと言われる。「歪んだ顔が好きだよ。」って言ってくれる。相方の深い愛情に触れて、手術はしないことにした。が、やはり動かない顔は、自分では、とても好きになれない。鏡に映ったり、写真を撮られたのを見ると、ギョッとする。自分じゃないみたいなのだ。特に、表情をつけると、ますます顔が歪む。ニコニコしてる時に、不意に鏡に笑顔が映ると、もう笑えなくなる。

中学生の頃、「人間失格」を読み、冒頭に登場する「仮面の少年」が自分自身のようで、すごく驚いたことがある。どうすれば大人が喜ぶかを観察し、表情や言動を意図的に変えて、周りを操る事を、自分自身がやっていたからだ。絵画コンクールでもいつも一位だったのは、大人や審査員が喜ぶ絵を知っていたからだ。そして、それは最近まで続いた。どうすれば、まゆげひとつの動きで、人の気持を操れるのか知っていたし、そんな事を、映画の演技指導にも応用できていた気がする。

しかし、今の相方と巡り会ったり、役者との触れ合いで人を信じられるようになった。初めて「人間」になれた気がした。そうしたら、今度は、顔面麻痺になった。感情を素直にだせるようになった途端に、それを封じられた。嬉しいのに、歪んだ顔になるのだ。

写真を撮りながら、どうすれば歪まないか研究しても、難しい。もう無表情の仮面のままでいることが多くなった。自業自得という言葉で、なんだか妙に納得する。

現在、準備中の「教室」の主人公も、似たような感じの運命を辿る。醜い烙印を顔に刻まれるのだ。脚本が先だったが、よく自分の脚本は、予言することがあるので、今回もそうなのだろう。まさに、脚本をもっと深く理解しろと神様が言っているかのようだ。

今日から、鍼治療を開始した。ビリビリ電流を流している。うまくいけばいいんだけどなと思う。映画をちゃんと作れば、動いたりして。そうなればいいな。

(写真:麻痺しているので、目が閉じないのです。)

 
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投稿者: : 2012年5月21日 投稿先 雑談

 

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モノを作れない世代

気持ちを共有できないからこそ、何かを表現しようとした過去の世代から、今、大きな変革が訪れている。ネット革新が起き、それまでの「個」が閉じ無くなっているのだ。

例えば、幸せだったり、苦しかったりすると、その気持はいったん個人の心に格納され、じんわりと作品へ昇華される時間があった。しかし、現在は、なにか美味しい物を食べたり、不幸な出来事があると、心に格納される前に、発散行動を迎える。「美味しい」「嬉しい」「くやしい」「かなしい」全ての感情が、すぐに伝達しようと発散される。

映画を含め、芸術活動は、一般的には「ネクラ的」だったと言い換えられると思う。心の奥深いところでの思索を通しての、個人の心の有り様が、大きく関わっていたからだ。しかし、もしかしたら、今後の創作は、感情を共有したいとか、一緒に作ろうよ!的なグループ意思が基礎になるようになるかもしれない。

モノ作りの意識や行動の母体が変容するとしたら、今後、どうなっていくのだろうか?

レディ・ガガの面白いエピソードがある。創作をする為に、セックスやドラッグなどの発散行動を禁じているというのだ。確かに、セックスから得られる快楽よりも、創作から得られる快楽のほうが大きいという研究文献もある。そう考えると、いくら高尚な創作活動といっても、ただの快楽中毒なのかもしれない。そんなガガ様は、ツイッターフォロー数が世界一だというのは、皮肉なことだ。創作への発散行動をうまくコントロールしていると言える。私たちは、うまく発散や、欲望、快楽をコントロールできているだろうか?

簡単にツィートして、創作に昇華すべき感情をドブに捨てていないだろうか?

再考すると、映画製作などのもともとグループ制作だったものは、ネット革新で便利な時代になった。すぐに、一緒につくろうという仲間を集められるようになったからだ。宣伝や、作品発表の機会も増えた。楽しい仲間の時代なのだろう。しかし、不思議なのは、いまだに自殺者が減らない。美大生は、よく死ぬ。閉じた「個」と、なれあいのネットの場とのせめぎ合いが、まだ発展途上なのだからか?共有できない「個」の部分があるからなのだろうか?その死にもつながる閉じた部分こそ、自分は好きな部分かもしれない。

結局のところ、どんな環境でも、作る人は作るし、死ぬ人は死ぬ。

仲間がほしいとみんなで作った作品、自殺しながら苦しんで作った作家性のある作品、いろんな背景の作品が残されていく。軽薄な作品を評価する人も多いし、人気のでない作品を「孤高の芸術」と自負しながら老いて死ぬことも多い。職業監督になって、見事な演出ですねと言われ死んでいくのか?苦しんでたった1本の映画を作るのか?

そんな世の中で、何を大切に作るのか?

 
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投稿者: : 2012年4月16日 投稿先 雑談

 

インディペンデント映画の機材と妄想力

http://www.raitank.jp/

最近、よくお世話になるサイトです。海外の一眼ムービー機材の最新情報を分かりやすく教えてくれます。特に、注目なのは、PanasonicのGH2をハッキングして、動画品質を劇的に向上させる研究をまとめているフォーラムです。私自身は、5Dmk2や60D、そしてレンズも含め、Canon派です。「GH2って、センサー小さすぎない?」っていう印象を持っていました。(実際は本当に小さいんですけどね。)ただ、フォクトレンダー NOKTON 17.5mm F0.95のような明るいレンズが出てくると、小さなセンサーでもボケてくれるし、そもそも、マウントアダプターを介せば、CanonレンズもOKじゃん。とだんだんとGH2に流されつつ有ります。で、ハッキングもいよいよ完成形に近づきつつ有ります。GOLGOP3-13_SednaCの改造ファームが良さそうです。もう少し、改造は続くようですが、撮影された実データを拝借して、AEでカラコレもしてみましたが、いやはや、素晴らしい画質でした。あきらかにCanonを凌駕しています。c300と比較しても、GH2の方が好きかも。(c300は、どうもビデオっぽすぎて。)

GH2を3台購入して、本作に使えないかなと、いろいろ調べていました。

ステディカムは、http://vimeo.com/35039887で紹介されている”Neuron”にすごく惹かれます。国産ですよ。しかも個人で製作しているんです。なんとか、クラウドファンディングで資金調達大量生産して頂けないかと妄想しています。

カメラゲージでは、http://tkysstd.com/wp/?p=91こちらも個人で製作しています。もうすごくかっこいいです。これにRODEのマイクとか、7インチモニターを付けられそうですね。

 

と、思っていたら、なにやらPanasonicから新機種の噂。http://digicame-info.com/2012/04/410m43.html

もしかして、悲劇のカメラAG-AF105の後継機種では?となると、期待するのは、GH2と同じくハッキング出来る仕様にしてくれてるとか、フルHD60Pを達成してくれてるとか。大げさに騒ぐと4Kとか??

本当に、最近の一眼ムービーは、いよいよ熟してきています。試行錯誤の時代は過ぎて、ついに、本命がどんどん出てきています。Canonやソニー、ビクターの4K、REDさん、デジタルボレックスさん、そして、Panasonicも出揃う感じです。インディペンデント映画の製作者は、大いに研究して、活用すべきです。機材に関しては、もう劇場用と差はないと良いです。というか劇場用もこれらの機材を使っていますし。となると、あとは、製作者の腕とチームワーク、それを束ねる経験、完成した映画をイメージできているかどうかになります。高いコストで完成度を高めてきたプロチームは、その規模も足かせになっています。私たちは、小さい規模、小さい予算で、独創的な完成度に高めることが可能です。

そう考えると、いい時代になったと言いたいのですが、果たして、ツイッターなどのツールで、なかなか「閉じた個」を持てなくなった世代に、強い妄想力強い想像力は産まれるのでしょうか?

 
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投稿者: : 2012年4月10日 投稿先 雑談

 

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過去のお仕事

映画製作では有りませんが、6年前位に製作したアート系DVDです。ほとんどの部分を製作しました。これで知り合いになったGOGOBOYさんやドラァグクイーンさん、DJさんも大変多いです。クラブ文化が何たるものかも、よく分かっていませんでしたが、色んなジャンル風には撮影出来たと思います。

RED Partyでの撮影も大変でしたが、皆さんの強烈なステージに圧倒されました。

一番、想い出深いのは、ホッシーさん&のの様のパートです。逆転撮影を基本にし、肉愛をテーマに作りました。二人ともパフォーマンスが素敵でした。

渋谷系?アンダーウェアブランド「cluise underwear」さんの店内放映用の映像も、一緒に撮りました。その映像も、DVDには盛り込んでいます。

 

どこかで、まだ販売しているのかな?笑。

 

 

 
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投稿者: : 2012年3月27日 投稿先 雑談

 

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